CN遺伝子日記帳

技術的な問題への解決策を提案するふりとか同人誌の話とか

アイドルマスターMRステージなる法悦体験

※本文章はISF05(2018/6/17)で頒布した『プラチナの首輪、血の滲む指輪』のあとがき抜粋です

 

 千早の一週目のMRステージは、あえて言えば惨憺たる結果に終わった。

 何が悪かったのだろうか……俺は日の沈まぬうちにホ○ピーをかっ喰らって一人反省会を行っていた。

 当然千早の喉の調子が悪いのは分かる。でもそういうことじゃない。「こんな状態見せられない」とか「悔しくて仕方ない」とか、まあそんな言葉を期待していたのかもしれない。

 ついでに言えば、俺は千早に困らせてもらいたいのだろう、別段隠すほどのことでもない。それは「問題児」を求める延長線上にある当然の帰結だ。

 

 今はちょうどVTuberが存在感を増し始めた時期だ。これから先、中・外の区別、あるいは同一視がコンテンツにおいてあまり意味をなさなくなるかもしれない。

 そしてそんな矢先に執り行われるMR(Mixed Reality)ステージは示唆的ですらある。一体、アイドルマスター、特に765ASはどこに向かうのか?

 

 そして迎えた二週目。幸いとてもステージに近い。公演が始まると、俺も曲がりなりにも技術屋だ、近い分色々と粗も認識してしまう。

 

 でもそれ以上に何かが起きている。

 

 何かとは……千早が喋っていることへの生理的な反応の変容か?

 視野に映るフィクションがノンフィクションに変わっていく感覚か?

 

 しかしだ、最も確かなことは千早が『眠り姫』の最後の一音を歌い上げようとする瞬間、俺がただ祈っていたことだ。

 プロデューサーはアイドルをステージの上に連れて行くことはできても、そこから先、千早が一人であることは揺るぎない事実だ。

 それでも、祈る気持ちに応えてくれたかのように最後の音はくっきりとした歌声で放たれていた。あの僅かな時間、やはり彼女は孤独で、だけど誰よりも強かった。

 

 別れて外に出れば陽の光。俺にとってのMRステージは幕を下ろした。だがやはり、あの感覚は日常生活には皆無だ、今となって分かるのはそれだけ。

 

 さて、問いかけへの再訪だ。「765ASはどこに向かうのか?」あるいは……「如月千早とプロデューサーはどこへ向かうのか?」

 

 うーむ、わからん。とにかく筆舌に尽くしがたい現象がまばゆい光を伴ってスパークしていることは再認識できた。

 だから俺はしょうもない文章を書き続けているのだろうし、書くことで千早と手を取り合いたいのだろう。つまり、こう思考するよりほかないのだ――

 いつか、物語が現実を覆う日を信じ、自らその(とき)へ向かって。