――たぶん、まだ幻覚を見ている。
※このあとがきはフィクションです
たった今、如月千早のMRステージを目撃した。それはいい。しかし、DMM VRシアターの外に出てもまだ続いている。鳴り止まない。彼岸の光景が様々な場所から染み出している。
雲の端から、開いた扉から、木の幹から、レンガの隙間から……。どうも非現実にあてられているらしい。公園でしばらく休もう。海風に吹かれれば、きっと幻も消えていく。
「ほら、そこの兄さん」
ベンチに座る男がそういった。怪しい宗教勧誘かと思い、俺は聞こえないふりをして通り去ろうとしたが、
「怪しい宗教勧誘とでも思った?」と男は調子の良い声で尋ねる。
「いや、まあそうですけど」
心の内を透かされたようで思わず反応してしまう。やめときゃよかったと後悔する間もなく男が続ける。
「色々迷ってんだろ?いや分かるよ分かるよ。表現したがりの目だ、俺と同じさ」
やっぱ逃げるべきだった。なんか適当言ってオサラバするか。うーん、仕事があるので?早く家に帰りたいから?
「そう露骨にいやそうな顔するなよ、兄弟。ほら、これだけ受け取ってくれ。そしたら終わりさ」
「はあ……?なんですかこれ」
「プロットだよ、兄ちゃん作家だろ?」
「いや、しがないプログラマーですが」
「ああ、そっか、指先の感じはそれだからか……。まあ、いいや、このプロットで小説書いてくれや」
年季の入った紙ノート。偶然か、高校で毎週のレポート、大学の研究でのメモ書きに使っていたのと同じ、ちょっと珍しいメーカー製だった。
「っていうか僕は同人書いてるだけで!」
一陣の風。視線を逸らした僅かな隙に男は去っていった。残された鳥の羽根がヒラヒラと落ちる。
「なんだよ、これから二郎でも行くつもりだったんだが」
男に代わってベンチに座り、パラパラとそのプロット・ノートをめくる。
神さまを観る人について(仮題)
始めのページにはそうあった。以降は、くしゃくしゃとした判読不能なメモ書きが続き、ようやくまともに読める文書につきあたる。
以下の原理より出発せよ。
第一原理 我は少女を包含する者なり
第二原理 少女は我を包含する者なり
論理の積を考えればいいのか?だったらこれはある種の同一律について述べている。お互いが包含するのは、それぞれが同一の場合だけだろう。
原理より下記の形式を証明せよ。
・あらゆる自己犠牲が原初の儀式的贈与である形式
・あらゆる少女に付与された性質が世界を構築する形式
・あらゆる波動方程式で記述できる物理現象が歌となる形式
「はあ……どうしよこれ」
深くため息をついてしまう。これはプロットなんてものにも満たない、まるで論理のちょちょぎれた妄想ノートにすぎない。それともなんだ?この金たわしみたいに書きなぐった黒い線をほぐして読み解けとでも?
「とはいえ……」
これで十分な気もする。このプロットに沿って、あのステージ上に現出した如月千早という少女を、論理の上に構築したらどうなるだろう。ノートをめくっていくと、段々と黒く塗った跡が濃くなり……その中にむしろ、一筋の白線を見出してしまう。これを渡れとあの男は言ったのかもしれない。そしてそれが、直感的には可能だと早々に結論がでてしまう。
「あーあ、どうすっか。まあ、次何書くか決まってないしな。断片だけでも試しに書いてみるか」
ただ、一つ重大な論理の欠落に気づいてしまう。原理の「我」か「少女」のいずれかが空っぽで何も含んでいないとしたら――つまり空集合であれば、その積も当然空っぽになる。これは賭けなのだと、そう気づく。信じるか、信じまいか。恐らく書き上げないと正解は分からない。
「さて……どちらにしようかな」
風が吹き、鳥が鳴いた。車の走行音。波の音。昼夜も季節も入れ替わり、天気も移ろう……。きっと、幻覚は続く。できることなら、息絶える日まで――
でも、いずれにせよこのタイトルは変えさせてもらうよ。書くなら千早の話で、彼女の一人称だ。だから、タイトルは……こうしよう。