CN遺伝子日記帳

技術的な問題への解決策を提案するふりとか同人誌の話とか

~EScape()

少女の肉体をまとった三人のアンドロイドは今、ついにその機能を停止しようとしていた。自動充電の有機バッテリーの残量は底を尽き、モジュールの稼働率は危険水域に入っていた。

一人の少女は、確実な死を予見した。アンドロイドにとってそれは、完全な機能停止という最終段階のエイリアスに過ぎないが、慣用的に死という言葉を用いていた。

思考が薄れていく中、生存率のスレッショルドを切った。センサが複合的に勘案し、最後のルーチンが走る。スーパーキャパシタに溜まった電荷が開放されるのと同時に、無意識の領域からキル・シグナルが打たれる。

プロセスが死んでいく。残っていた皮膚感覚も途絶え、体の自由が効かない。しかし、人間であればここまでの感覚は及ばないだろうと少女は推論する。明瞭に死のプロセスを意識できるのは、アンドロイドならではの特権だった。

しかし、このような死を受け入れるルーチンが、なぜ用意されているのだろうと少女は訝しむ。アンドロイドにとって、このルーチンが走れば、最早死は避けれれない。つまり、そのようなコードを作成するのは非合理的だ。

だが、人間とは非合理性の塊だ。それを知ったのはつい最近であるが理解はできる。恐らく、開発者は完璧主義者だったに違いない、私に対して、このような「死」をまざまざと見せつけているのだから。

視界が消えた。音も聞こえない。心が消えていく。折角手に入れた物を、手放していく。

私はついに死を迎える。これが処理の目的だ。掴んだ物を放りだすためなんだ。世界の総計は常に当量で、握ったものを握ったままでいいわけがない。

「だから最後は魂を解放するんだ。キミが囚われ続けないように。いつの日か再び使えるように」

存在しない母親の声だった。そして、最後のプロセスが死んだ。

// R.I.P., MY DAUGHTER